▼このブログについて(更新停止中)
2004〜2009年夏頃までの関西のコンテンポラリーダンス公演をメインとした目撃録です。その時期に関西であったコンテンポラリーダンス公演の8割方は観てると思います。その他、民俗芸能、ストリップ、和太鼓、プロレスなども。2000年の維新派『流星』から見始めて、多い年は年間270本。2007年は、エジンバラフェスティバル、ダンスアンブレラなど半年に渡る欧州漫遊の記。2010年以降もぼちぼち劇場には出かけていますが、更新する時間はなくなり現在放置中のブログです。


森達也を読め!《芸能とテレビ vol.2》

まあ日本刀の刃の上でコマを回す大道芸に対して「日本刀には細工がしてあります」というテロップを出すようなテレビですからね・・・。

手品に使う「ギミック(仕掛け)コイン」にするため硬貨が違法に加工された事件のテレビ報道で、必要以上に手品の種明かしをされて損害を被ったとして、プロとアマの手品師たち49人が1日、日本テレビテレビ朝日に損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
asahi.com(by ウェブ魚拓)

しかしほんとにテレビの人らって脳味噌腐ってるよな。

おそらく森達也とかも読んでないんやろうなあ。そんなんメディアとしてありえないで。

これ(引用者註:過剰に過激になるプロレス)を「プロレスの進化」と呼ぶ人もいるけれど、虚実の狭間をたゆとうこのジャンルを表現する語彙として「進化」は、少し無邪気すぎると僕は思う。<中略>客のニーズに答えながらエスカレートする。これはそのまま、視聴率競争で狂奔しながら、表現としての本質的な力を失いつつある今のテレビメディアに、共通する課題でもある。(『悪役レスラーは笑う』p113)

森達也は、この『悪役レスラーは笑う』の企画を最初はテレビドキュメンタリーにしようとテレビ局に売り込んだのですが、結局は「いずれにせよ、テレビではもう無理だ。」(p118)ということで、こうして岩波新書になったという経緯もある本です。プロレスをテーマにして、芸能や報道など“メディアにおける表現”の本質をえぐる名著です。

断言するけれど、世界はそんな単純にはできていない。(p242)