▼このブログについて(更新停止中)
2004〜2009年夏頃までの関西のコンテンポラリーダンス公演をメインとした目撃録です。その時期に関西であったコンテンポラリーダンス公演の8割方は観てると思います。その他、民俗芸能、ストリップ、和太鼓、プロレスなども。2000年の維新派『流星』から見始めて、多い年は年間270本。2007年は、エジンバラフェスティバル、ダンスアンブレラなど半年に渡る欧州漫遊の記。2010年以降もぼちぼち劇場には出かけていますが、更新する時間はなくなり現在放置中のブログです。


Noism06『sense-datum』

cannon262006-05-23

06年5月
Art Theater dB

天晴れ。贅沢すぎ。ほんとに3500円でいいんですか?いや安いにこした事はないけれど。1万円でもOKですよ。それぐらいの価値がある。研鑽に研鑽を重ねた身体操作の圧巻クオリティ。それをあんな小空間で。お腹いっぱい。

作品としてもかなり面白かった。茂木健一郎が当作品について書いていて、とても面白く読む。(http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/05/post_6466.html)私も感じたキーワードがけっこう頻出している。「キミョーでビョーキでコワイ」とか。。(私の感じたところと茂木氏の文脈上で意味するところは微妙に違うけど)―なかなかヘヴィーな批評が生まれそうな、そういうポテンシャルも備えている作品ではないかと思った。


(以下5/28追記)

劇場に入ると、すでに舞台上では男(石川勇太)がひとり、芝居がかったモノローグを発している(サルトル『嘔吐』の一節)。私が何度も書いてきた“小難しいテキストは使わないほうが…”なんてどこ吹く風。相変わらずの金森印。もう慣れてきました。にしてもこの石川勇太という人はいつの間に加入したんだろう。ダンサーらしからぬセリフまわしだと思ったら、実は役者畑の人。平田オリザの作品などに出ていたそうです。

舞台上では奥に椅子がたくさん並べられていて、残り三方は植物様の小さなオブジェがずらっと取り囲むように並んでいる。モノローグのシーンがひとしきり続いたあと、ダンサーがひとり、またひとりと舞台上に怪しく入ってくる。舞踏チックな動き。そして、北村道子による衣装がまるでゾンビのよう。バイオハザードを思い出す。実はモノローグの男も科学者か医者のような白衣を身に纏っているのでなおさら。舞台に出てきたダンサーはそれぞれ少しばかし踊ったあと、後ろの席についてゆく。その不自然な視線と姿勢は、完全に何かに「冒された」人間のように見える。

もうこの時点で私の頭に浮かんだのは、

差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も (平凡社新書)

差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も (平凡社新書)

「隔離」という病い―近代日本の医療空間 (中公文庫)

「隔離」という病い―近代日本の医療空間 (中公文庫)

だったのでした。垣根に囲われた舞台。「ゾンビのような」衣装は、宮崎駿もののけ姫』に描かれるハンセン病患者(たたら場にある小さな小屋で鉄砲作りをしている全身包帯にまかれた人々)を思い出す。あからさまにそうしたテーマ性が打ち出されているわけではないですが、いろいろ感じてしまうところ。他の人のブログを読んでいても、ハンセン病には限りませんが、やはり身体障害者を想起した人が多かったようです。ダンサーが発する声とかもそう。

あと個人的にすごくびっくりしたというか、「金森穣すげえ…」というシーンがあって、それはウィッグをつけて展開するシーンの何シークエンスか目で、男性3名がウィッグ着用してバッと踊ってるときに、仲間はずれになっていた男(宮河)がそのウィッグを取っていって、白衣の男性に自ら渡してしまうというシーン。この前のシーンでは同じく女性陣がウィッグ着用で踊ってるのを、こちらは白衣の男性によって剥ぎ取られてしまうというシーンで、次にそこでの男性(宮河)の行動の描き方がすごいなと。知能障害者の行動心理って、まさにこのような感じだと思いました。


(以下6/4追記)

今回の公演は、「表現としての動きの成立を目指すのではなく、あくまでも演者による演者のための動きの実験を行う」とパンフにある。ポストトークでは、「ダンサーの身体を不自由な状況下において、そこから新たな動きを生み出していった」というような事を言っていました。例えば、ダンサーの発する声(呼吸音)。あれはダンサーが動いている時に、肩口より下のラインでの呼吸を制約する。そこから、ダンサーそれぞれの息継ぎのタイミング、リズムと共に身体の新しい動きを生み出してゆく、というような創り方をしてできたものらしい。

身体表現の創り方なんて、我々一般人にはそうそうイメージできないものなので、そういうのを聞くと、とても面白い。ストイックにストイックに身体表現の世界を探求する金森穣。そして「穣さんの実験台(笑)」と楽しそうに話すダンサー。その先に何があるのか、今後の活動にも注目です。静岡公演、行きたいなぁ…。

復権される身体感覚の先に、仮想と現実が同居する現代を生きるに相応しい身体が生まれると信じる。(金森穣/パンフより)

・高橋聡子が良かった。ハードな振りが続いてもいつも表情が涼やかで明るい。
・今回、井関佐和子は出演せず(体を壊していたらしい)。残念。
・ラストは青木尚哉と宮河愛一郎のヘンな顔対決で終わった(?)。
・呼吸をモチーフにする(にフォーカスする)作家はほんとによく見るな。
・ストロボ発光もここしばらく見まくっている。
・ウィッグをつけて展開するシーンは、なんかMTV的でかっこいい。MTV的なセンスを垣間見せる振付家はわりと気になる。最近だとヘンリエッタ・ホルンとか。なんだろう「MTV的」イコール「映像的」かな(「フォトジェニック」でもいいかも)。そしてエンターテインメント。
・そういえば、MTV(及びミュージックビデオ全般)におけるダンス史とか、うまくまとめられたら面白い。YouTubeが健在のうちに誰かー。「DDD」とかでやってくれないものだろうか。