▼このブログについて(更新停止中)
2004〜2009年夏頃までの関西のコンテンポラリーダンス公演をメインとした目撃録です。その時期に関西であったコンテンポラリーダンス公演の8割方は観てると思います。その他、民俗芸能、ストリップ、和太鼓、プロレスなども。2000年の維新派『流星』から見始めて、多い年は年間270本。2007年は、エジンバラフェスティバル、ダンスアンブレラなど半年に渡る欧州漫遊の記。2010年以降もぼちぼち劇場には出かけていますが、更新する時間はなくなり現在放置中のブログです。


ドリフト=クールジャパン

サイゾー10月号が「日本が誇る次世代コンテンツは、ドリフト走行と土屋圭一だった!?」として以下のような記事を載っけてます。

ネットマガジン「ビジネスウィーク・オンライン」の7月26日号の、日本のポップカルチャーがいかに世界に影響を与えているかという記事の中で、「日本の曲がりくねった山道で生まれたモータースポーツであるドリフト走行が、米国で流行っている」と報じている。北関東の若者を中心に生まれた走り屋文化が、いまや“クール・ジャパン”の一環として輸出されているのだ。ドリフト界のカリスマ土屋圭一は来日したエアロスミスにサインを求められ、メンバーの前で「で、どの人がスミスさん?」と言ってのけたとか。(要約)

D1グランプリhttp://www.d1gp.co.jp/
D1グランプリUSA→http://www.d1gp.com/
フォーミュラドリフト→http://www.formulad.com/

少し前(9/15)に、今最も躍動するレーシングムーヴメントを見れるのはマウンテンバイクの下り系競技だと書いたけど、あと忘れてはならないのはこのD1グランプリ。あっ、でも「レーシング」ではない。D1は「競走」ではなくて、ドリフトの技を競い、魅せるショーなのです。ドリフト時における角度、スピード、ライン、エンジン音、タイヤのスキール音、タイヤの煙、などでいかにお客さん(と審査員)を盛り上げられるか、という、これは四輪モータースポーツ興行としてはかなりラディカルなシロモノです。(二輪ではショーはさかんに行われてる)

なぜなら、プロレスや大相撲などと同様に、「生命の危険と隣り合わせの競技をいつも同じメンバーで転戦しながら興行していく共同体」であるモータースポーツは、必然的にある種の非真剣勝負性、要するに八百長的暗黙の了解を前提として成り立つショーであるという、これは賛否あるでしょうが、やっぱりそういう側面はあります。興行ビジネスとして運営し、さらにスポーツ競技として定義する以上は、これはなかなか厄介な問題です。モータースポーツも大なり小なりこのジレンマを抱えています。

たとえば日本のGT選手権は、ガチンコ性を核として低迷するフォーミュラニッポンとの差別化として、プロレス化つまりエンターテイメント化(競技規則を操り、見て楽しいレースを演出する)して、現在の人気を得てきました。実際走ってるドライバーからは「あれはプロレスだからね、レースとしての魅力はないよ」という趣旨の発言も聞かれたり、「これこそプロレースだ」という、山田く〜ん座布団一枚!な発言もありました。それでもやっぱり競走は競走です。が、D1はそこを飛び越えショーに徹した。お見事。よっ、四輪レース界のWWE

現在のGTは、メーカーワークス勢の目に余るガチンコぶり(高騰しまくる開発資金!)や、海外進出にともなう大規模化などで、転換期を迎えてます。D1はまだ4年目で、ある種できたての芸能興行のようないかがわしい魅力があって、今が面白いと思います。ドライバーの出自というか、キャラクターも「河原者」的で、トップカテゴリーのエリートドライバーにはない魅力です。

モータースポーツは、F1に透けて見える階層意識に現われてるように、ヨーロッパにおいてはお金持ちの貴族の遊びでした。アメリカではスタジアム状のオーバル(楕円)コースが示すように一貫して大衆的なショースポーツ。一方、日本では峠のドリフトからD1グランプリが出てきたように、周縁から発生した河原芸能としてのモータースポーツ。今までは欧米から輸入するばかりだったモータースポーツですが、日本からこうしてD1が輸出されるのは、明らかにその背景にある文化的差異によるオリジナリティにあるのです。

昨日の【ナムラアートミーティング】真夜中ミーティングPART1「文化芸術は経済の起爆剤となり得るか」で橋爪紳也が言っていた「興行性」とはこういう事ですね。D1グランプリ、これからまだまだ人気がでるだろうけど、根本の魅力は失って欲しくない。つーか、アメリカ行く前に関西に来てーやー。

追記>上記「ガチンコ性を核として低迷するフォーミュラニッポン」について補足。これは、ガチガチに勝敗にこだわる総合格闘技がグラウンドで膠着してしまうのと同じ論理。高速回転するタイヤが剥き出しのフォーミュラカーでは、抜きつ抜かれつのバトルをするのはリスクが大きすぎるし(接触すれば宙を舞う)、そもそもレベルの拮抗したドライバー同士であれば滅多な事では追い抜きに至れない。だから一列になって走ってるのを見せられる→客が離れる。プライドという総合格闘技が、あまりひどい膠着状態にならないのは、膠着はお客さんが望んでいないという事を選手がきちんと理解しているから。モータースポーツの場合は車の特性として抜きつ抜かれつしやすい車を作るように規則を整える必要があるわけです。

なんかFポンネガティブキャンペーンみたいになってますが、Fポンは結構面白いです(F1よりかは確実に)。