【明倫artレビュー】AAPA『outskirts』
AAPA『outskirts』
2010年9月2日 Art Theater dB 神戸
※このレビューは京都芸術センター通信「明倫art」 2010年10月号に掲載されたものです(INDEXはこちら)
境界を踊る、世界を跨ぐ
何かが起こりそうな緊迫感。そこにある日常。互いがじりじりと侵食し合う時間。滲んでゆく境界。AAPA(アアパ)が上演した『outskirts』(アウトスカーツ=街外れ、郊外の意)は、隔たれた空間が、だけどもどこかで隣接し、そして融解してゆく、そのあわいを写し取った舞台作品だった。
隔たれた空間とは、例えば都市と自然であり、部屋と外であり、自分と他者である。そこにある隔たりは、綺麗な一線を境に分かたれるものではなく、薄いグラデーションを描いて混じり合っている。そのマージナルな領域は、2つの世界がぶつかる痛みをやわらげるためのバリア(緩衝材)である。この作品では、向こうの世界へと踏み出すひとつのプロセスが描かれる。
劇場に入ると、フロアは白いラインで4つの部屋に区切られている。俯瞰して見ると、交差する道路が街区を区切っているようにも見える。奥の部屋では、机のうえの家庭用プリンターが動作音を響かせて動き始める。コーヒーメーカーが豆を挽き、フライパンのポップコーンが弾ける。そうした生活音をその場でサンプリングした音が、ひたすら繰り返される。
4名の女性ダンサーはそれぞれの部屋で、それぞれの日常を送る。何気のない仕草が延々と続く。ひとりの男性(主宰の上本竜平)も終始その場にいるが、黙々とおもちゃの電車を走らせたりしているだけで、圧倒的に外部と絶たれた存在としてそこに在る。
事態に変化が訪れるのは、女性達が身につけている服をそれぞれ脱いで、お互いに着まわしてゆくシーンに入ってからだ。ひと通りの衣服に袖を通した彼女らは、そうして境界線の向こうへと飛び出してゆく。それまで劇場のフロアで展開していたパフォーマンスが、ステージ上へと移る。
衣服というもっとも身近な境界(バリア)を交換する経験を経ることで、彼女らが世界を跨ぐ契機となる。境界を認識することで、揺らぐことのない場所(自らの身体)の確かさを確認する。そうして、新しい世界への扉を開ける。隔たれた空間が、舞台上で繋がってゆく瞬間だ。
欲を言うなら、踊るという行為自体に対しても、そうした境界性(古来、踊ることは「ハレ」と「ケ」という2つの世界を接続する媒体だった)をより色濃く反映できればと感じた。そこに踊りがあることに強い説得力が欲しい。高い能力を備えたダンサーが揃っているだけに、なおさらそう思う。
彼らはまた、活動を通して、日常と舞台空間の間にある境界にも観客の意識を向けさせ、新しい関係を模索する試みを継続している。リニューアルした「踊りに行くぜ!!」にも選出されており、今後彼らが生み出すダンスの場に、大いに期待を持ちたい。