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2004〜2009年夏頃までの関西のコンテンポラリーダンス公演をメインとした目撃録です。その時期に関西であったコンテンポラリーダンス公演の8割方は観てると思います。その他、民俗芸能、ストリップ、和太鼓、プロレスなども。2000年の維新派『流星』から見始めて、多い年は年間270本。2007年は、エジンバラフェスティバル、ダンスアンブレラなど半年に渡る欧州漫遊の記。2010年以降もぼちぼち劇場には出かけていますが、更新する時間はなくなり現在放置中のブログです。


【明倫artレビュー】ボヴェ太郎『消息の風景 −能《杜若》−』


ボヴェ太郎舞踊公演
『消息の風景 −能《杜若》−』
2010年7月2・3日 伊丹アイホール

※このレビューは京都芸術センター通信「明倫art」 2010年8月号に掲載されたものです(INDEXはこちら






舞踊がつなぐ二つの世界

触れれば怪我をしそうなほど極限まで張りつめた空間にありながら、一方で深い深い海の底で悠久のまどろみにたゆたうようでもある。

ボヴェ太郎の新作は、能楽とのスリリングな呼応から、二つの感性を繋ぐ身体と空間を導きだす意欲的な試みとなった。

劇場に入ると、三方に客席。そして中央には漆黒の闇がポッカリと口を開けており、そこに板敷きの四角い舞台が浮かぶ。客席がない向こう側には、囃子方地謡が座する台が設えられている。

誰もいない空間に、まず鋭い笛、そして鼓の音がどこからか聴こえてくる。一気にこの空間に古典の風合いがもたらされる。そうして囃子方地謡の面々が美しい所作を伴って演台にあがる。曲が始まるが、10分ほどだろうか、しばらくボヴェの姿のないまま能楽囃子と地謡の紡ぎ出す世界に引き込まれる。

ボヴェは、静かにすべるように歩んできた。中央に浮かぶ舞台にのる前に、ゆっくりと空間と自分とを馴染ませるように客席の前を歩んでゆく。ただそれだけでも、ゾッとするほどに美しい。

衣装は黒の上下。タイトなロングスリーブのトップスに、袴のようなドレープの刻まれたボトムス。とてもスマートなシルエットで、背筋を伸ばし悠然と歩を進める。欧州人の血を受け継いだ姿形も相まって、思わず祈り捧げたくなるような空間が現れる。

闇を渡り、光の注ぐ舞台に達すると、空間の密度が一気に高まる。囃子と謡に感応して、静かに流れ続けるボヴェの動き。とはいえ、鼓や笛の音色はとても鋭く、時に攻撃的でさえある。謡も空間をやさしく包むようなものではなく、野太く低音で空間をねじり上げるような趣がある。

ボヴェの舞踊は、そのエネルギーをささやかに取り込んでは、空間の広がりへと変換していくように見えた。その空間は、上へ上へと伸びる。彼は、天に伸びる空間を見事に支える。

私はどんどんと深みに降りてゆく感覚を覚える。時間の流れがだんだんと緩慢に感じられてゆく…。

このような縦の空間性に、彼の舞踊の特質があるように思えてならない。

それは屋内であっても、舞台にわざわざ柱を建て屋根を設える能楽の空間とは異質なものだ。相応しいのは、例えば、ヨーロッパの教会建築が見せるような天への憧憬だろう。

直線的に飛んでくる鼓や笛の音色、地を這うような謡も彼の舞踊とは相容れにくいものだ。そのような「籠める音」よりも、教会のパイプオルガンのような「浴びる音」との親和性が高いだろう。

そうしたなかで敢えて能楽との融合を試み、どちらに寄るでもない空間をつくりあげた。日本とヨーロッパ、それぞれの深層に息づく感性が舞踊を通して接続した稀有なひとときだったように思う。