▼このブログについて(更新停止中)
2004〜2009年夏頃までの関西のコンテンポラリーダンス公演をメインとした目撃録です。その時期に関西であったコンテンポラリーダンス公演の8割方は観てると思います。その他、民俗芸能、ストリップ、和太鼓、プロレスなども。2000年の維新派『流星』から見始めて、多い年は年間270本。2007年は、エジンバラフェスティバル、ダンスアンブレラなど半年に渡る欧州漫遊の記。2010年以降もぼちぼち劇場には出かけていますが、更新する時間はなくなり現在放置中のブログです。


Noism 08『Nameless Hands 〜 人形の家』

08年07月
金沢21世紀美術館 シアター21


なにかと思えば金森版「春の祭典」ではないですか。不意打ち。しかもベジャールオマージュ全開ですし。観てない人は観に行って損はないと僕は思う。残るは新潟公演だけですが、新潟まで行けばいい!

まず、このクオリティ、この密度で3000円というチケット価格がすごい。このすごさは特筆されて然るべき。公立のレジデンシャル・カンパニーという存在が、今の日本のダンス界にあって、いかに他からは抜きん出た仕事を成し遂げているか。とりあえず、ダンスファンとしては新潟市に足を向けて寝ることはできません。

(追記:3000円は金沢だけですね。新潟、静岡、いわきは4000円、東京は4500円)


なんせ、この公演に3000円という価格が付くなら、世の中には1000円ぐらいでないと割が合わないような公演だってたくさん出てくるということだ。とはいえもちろん、舞台芸術ハンバーガーのように単純に価格調整のメカニズムが働くものではないから難しい。なぜなら、お客さんがお金を出すのは、その作品を観て結果得られる便益や満足度にではなくて、まだ観ぬ作品に対する「期待」にであるからだ。

だから今回の3000円という価格も、そういう意味では高くも安くもない(あくまで現在の日本のマーケットにおいて、であるけれど)。先の「すごい」という言葉は、たしかに「安い」とほぼ同義で使ってはいるが、そこにはもう少し説明が必要だ。つまり、Noismにおいて、このクオリティの作品をこの価格で提供できるという事のすごさは、われわれの 3000円の思惑をはるかに超えたところにあるという事だ。あれ、分かりにくい?

具体的な話をしよう。2年前に今作と同じくスタジオ公演サイズで創作された『sense-datum』を観たときに、僕はこう書いた。

ほんとに3500円でいいんですか?いや安いにこした事はないけれど。1万円でもOKですよ。それぐらいの価値がある。(id:cannon26:20060523#p1)


僕は、それなりにある舞台芸術体験から判断して、この公演には1万円だって出す価値があると本当に思った。この時は単純な感想を書いただけだったが、よくよく考えてみれば、ここでの差し引き6500円分の対価ってのは、実は支払っているのだな(新潟市民が)と、今日の公演を見ながら思えてきたのである。概念的な話ではあるけど、事実、社会でダンスカンパニーを持つというのは、そういう事だろうと思う。この高密度のものを3000円という多くの人がアクセス可能である価格で提供すること。それを提供できる環境があること。その意義。

税金で運営されるプロのダンスカンパニーの「責任」という金森の言葉は、今作のパンフレットでもアフタートークでも(いつものように)語られている。金森的には、この作品がどれだけ社会と切り結びえているかというポイントが大きいだろうけど(それが今回の「見世物小屋復権」というテーマに繋がる)、僕としてはまずやはりダンサーのレベル(身体操作のクオリティとアンサンブルの高度さ)、そして、3〜4000円の価格帯の公演を全国5都市23公演行うという興行面、この2点において、何においても最大限の評価があってしかるべきだと思う。

もちろん作品性を不問に付すわけではないし、それは超重要だが、なぜか「どうして Noismがこんな小劇場めいた見世物芝居をする必要があるのだ、しかも手垢だらけで何も新しくないじゃないか!」とかいう拒否反応だけが先に立ってしまうのは(そんな空気ですよね?)、どうかなと。ぶっちゃけ、金森が「青い」とか「幼くてイタい」なんてのも二の次でいい。

とにかく、 Noismのあとに続くレジデンシャルダンスカンパニーの芽がこのまま出ないまま、Noismも終焉を迎えるのではないかという危機感でいっぱいのこの頃です。金森自身は、現在の契約が切れる2011年以降は新潟でこのまま活動を続ける気持ちはあまりないと思う。一応書くのは控えてはいたが、昨年の京都精華大での講演の際に金森は「2010年でNoismは解散します」と明言している。芸術監督という立場からしては「青い」としか言いようのない不用意な発言だが、私がそんな金森のファンになったのは言うまでもない。・・・それはさておき、最近のインタビューを読むと“Noismの存続は金森穣ありき”という状況に本人は危機感を抱いてるそうだ。

そう、だから、金森が「青い」だの「幼くてイタい」だのといった評価が先行するよりも、もっと大きなところでりゅーとぴあレジデンシャルダンスカンパニーNoism08についての建設的な言説が、今、求められているのではないかと思うのである。とまあ、作品のことを書こうと思って書き始めたらダダずれしてしまった。また改めて書きます。とても良かったです。

追記:Noism活動延長のお知らせが出ました


つづきはこちら ⇒ http://d.hatena.ne.jp/cannon26/20080802#p1