▼このブログについて(更新停止中)
2004〜2009年夏頃までの関西のコンテンポラリーダンス公演をメインとした目撃録です。その時期に関西であったコンテンポラリーダンス公演の8割方は観てると思います。その他、民俗芸能、ストリップ、和太鼓、プロレスなども。2000年の維新派『流星』から見始めて、多い年は年間270本。2007年は、エジンバラフェスティバル、ダンスアンブレラなど半年に渡る欧州漫遊の記。2010年以降もぼちぼち劇場には出かけていますが、更新する時間はなくなり現在放置中のブログです。


ベルギー舞台芸術メモ(2) 〜不思議の国ベルギーからアジア共同体へ

ググってたら色々でてくるベルギーのダンス環境について。セゾン文化財団が発行しているニュースレター、2002年のもので少し古いけど、計らずもビバ!ベルギー特集になっているものを発見。「海外で活躍する日本のダンスアーティスト」という特集で3本の記事が載ってるのだが、それぞれに興味深いベルギー事情が語られている。

まずは佐藤まいみ氏による「日本の現代ダンスアーティストが海外へ出る背景」という記事から、ローザスに所属する池田扶美代へのインタビュー。

ブリュッセルは、今ダンサーがすごく住みやすい環境で、カンパニーを辞めた人でも国に帰らないで仕事を見つけてきています。辞めた人たち同士で何かを始めたり、小さなカンパニーを作ったり、それが可能なのです。ダンスばかりじゃありません。ほかのジャンルの人たちにも言えることです。
viewpoint No.22 30 September 2002

次に、ベルギーの地で長年にわたり活動しているダンサー、日玉浩史による寄稿「僕がベルギーに居続けてしまう理由」から。ちょっと長いけど引用。

ベルギーというのは不思議な国である。その国家予算が東京都のそれと同じ程度の小さな国であるにもかかわらず、常にあらゆる分野のアーティストが活動し、それぞれに交流を持ち、互いに刺激しあいながら新しい表現方法を模索し、また若い世代の才能もどんどん育っている。
例えばその首都、人口100万人ほどのブリュセルに、パリのテアトル・ド・ラ・ヴィルで公演をうつほどにその活動が認知されているコンテンポラリーダンスのカンパニーが僕が今思いつくだけでも7つはある。
そして実際には7つどころかもっと多くの振付家やダンサーが活動し、またダンスだけではなく、いくつもの先鋭的な現代音楽のアンサンブルや劇団などもその同じ街で活動している。更に驚きなのは、これらの活動には州からの予算が下り、多くのアーティストが自らその技芸を持って生活を成り立たせているということである。
これはすごいことだと思う。日本で言えば仙台市ブリュッセルとほぼ同規模の人口を持つ都市であるが、例えばそこに勅使川原三郎山海塾ダムタイプ、パパタラフマラ、山崎広太、伊藤キム、コンドルズらのカンパニーのメンバーが住み、十分な予算を助成されながら常に創作活動を行っているという様子を想像できるだろうか。
viewpoint No.22 30 September 2002

仙台市うんぬんのくだりなどは、ちょっとびっくりです。どんだけの環境と条件が揃ったらそんな事になるんだろうか。たしかにここまでだと“うらやましい”とか“見習うべきだ”などを通り越してもはや“不思議”。。うーん他のヨーロッパ諸都市もこんな感じなのかなあ。ひとつ思うのは、やはりヨーロッパ共同体(今はこんな言い方しないのか?)というのはすごく文化地政学(そんな言葉あるのか知らんが)的に大きな好影響を生んでいるなあと。それは住んでみてほんとに実感する。

ひるがえって、例えば日本の都市や文化状況にこれからブレークスルーが訪れるとするならば、ああそれはアジア共同体抜きには考えられないよなあ、と思った次第です。といった感じで、コンテンポラリーダンス界でもアジアが盛り上がってる流れ(踊りに行くぜアジアツアーとかアジアダンス会議とかdBのアジアフェスとか)に今更ながら追いつかせていただきました。

ロンドンの片隅でベルギーのことを考えつつ「やっぱこれからはアジアでしょ!!」と結論付いた27歳晩秋、男独り。。。さあそろそろ飯でもつくろうか。