▼このブログについて(更新停止中)
2004〜2009年夏頃までの関西のコンテンポラリーダンス公演をメインとした目撃録です。その時期に関西であったコンテンポラリーダンス公演の8割方は観てると思います。その他、民俗芸能、ストリップ、和太鼓、プロレスなども。2000年の維新派『流星』から見始めて、多い年は年間270本。2007年は、エジンバラフェスティバル、ダンスアンブレラなど半年に渡る欧州漫遊の記。2010年以降もぼちぼち劇場には出かけていますが、更新する時間はなくなり現在放置中のブログです。


ダンスフォーラム「コトバとダンス」

ダンストリエンナーレTOKYO 2006
06年11月
EAT and MEETS Cay(スパイラルB1F)

トーク:【基調スピーチ】 三浦雅士
第1部:【アーティストインタビュー】 伊藤キム by 榎本了壱/森下真樹 by 副島博彦
第2部:【シンポジウム】 笹公人歌人)、貫成人、立木菀子、川崎徹(司会)

ダンス作品で言葉が使われること多くね?という件についていろいろと。私としては“言葉”よりも“声”というくくりのほうに興味があります。言葉があらわす意味とかよりも、単純に“声を出す”という行為のほうに核心があるように思います。・・・ということをここ最近ずっと書いてるな。なのでとても興味深いフォーラムでした。

特に、森下真樹は巫女顔なだけあってやはりシャーマンタイプの人。踊ってるとき言葉を発することについて「言葉なのかダンスなのか分からなくなるまでエスカレートさせてゆく」んだそうです。トランスするための媒介として発声を使ってるんですね。

伊藤キムは「眉間にしわを寄せる」とか「肩で息をする」などの身体の部位がつかわれる言葉を、身体国語辞典として今集めているそうで、それについて。新しい身体国語を会場から出させてそれをネタにしゃべったり。このあと森下真樹との実験的な即興パフォーマンスも。言葉をしゃべりながら関係ない動きを紡いでいく試み。先日のダンスボックス10周年でもやってましたね。

笹公人は、おそらく川崎徹が個人的にかなり興味があるんだろうな。脱臼感のある言語表現について笹公人に迫っていました。シンポジウムの最後も質問し足らないぐらい笹公人にこだわってました。このへんについては、TVブロスで「サブカルコンテンポラリーダンスに生きていた」みたいな、いとうせいこうと桜井圭介の対談がありましたが、あれと通じるところがある。今回のフォーラムでも多々、80年代カルチャーに言及されていて(アイドル歌謡とか糸井重里とか)興味深かった。