▼このブログについて(更新停止中)
2004〜2009年夏頃までの関西のコンテンポラリーダンス公演をメインとした目撃録です。その時期に関西であったコンテンポラリーダンス公演の8割方は観てると思います。その他、民俗芸能、ストリップ、和太鼓、プロレスなども。2000年の維新派『流星』から見始めて、多い年は年間270本。2007年は、エジンバラフェスティバル、ダンスアンブレラなど半年に渡る欧州漫遊の記。2010年以降もぼちぼち劇場には出かけていますが、更新する時間はなくなり現在放置中のブログです。


高嶺格 構成・演出作品『アロマロア エロゲロエ』

cannon262006-09-02

06年9月
伊丹アイホール

<(けっこうサブい)演出パターン『開演前にパフォーマンスさせるの、やめませんか?』>「あ、もう始まってる、またかよ」と思ったこと、ありませんか?劇場に入ると、すでにパフォーマーが舞台上にいて、何かしてる。目新しい演出ならまだしも、こんな時代錯誤な演出、どういう効果を期待してるのか知らないけど、ああまたかよ的なものにしか映らなくて、「なんだかなー」と、興冷めな気分になる。そんなとき、チラシの束は客電が落ちるまでの暇を潰すのにとても役立つのです。いや、事実、そうだから。

まあ事実そうなんですけど。ということで、【(矛盾を抱えた)特別チラシ『チラシ作るの、やめませんか?』】というメッセージが裏に刷られた藁半紙のチラシが気になってた高嶺格の新作。チラシの件だけに限って言えばいろいろ考えるのはよいことだと思う。が、作品自体にもそんなメッセージが、というか途中でマイク持った高嶺格(ですかね?)がでてきて訴えたり。。他公演のテクスト情報を映像素材に使ったり、チラシをバラバラと降らしたり。他所の公演のチラシを粗末に扱うなよ。なんかしょうもない“憂国の徒”的な雰囲気が漂ってきて不愉快な感じです。

下記、【チラシについてのスタッフミーティング】からプロデューサーである志賀玲子氏の言葉を引用。

このアクションそのものをアートに関わるひとつのムーヴメントとして、きちんと発信していくことが重要だと思う。今の状況はもう単純に広報戦略会議みたいなレベルじゃ変わらない感じがある。高嶺さんが劇場を巡る事情をよくご存知のないところで、アーティスト一個人の感覚・立場から提案されたなかに、次代を切り開く重要なキーが含まれているのではないかと思っています。

非常に戦略的にアーティストという存在を利用させてもらっているつもりです。こんな勝手なことを感覚的に言って成立するのはアーティストだけ。私たちは言えないでしょう、状況のなかで仕事をしているし。 (中略)先日のミーティングでも言ったように、これは高嶺さんの表現の一環として受けとめてほしい。

ん〜、そうですかね?これぐらいのこと広報会議のレベルでなんとかしてよ、というのが正直なところ。高嶺のアーティストとしての表現がどこぞの環境保護団体みたいなノリというのもなあ。。舞台作品つくるにあたって核になるものが何もなかったから、いいように拾ってきたネタのように感じる。辛口ですが。舞台作品を構成するということに関しては並々ならぬセンスは確実にある作家なので、なんか今回の作品は残念でならないです。

まあでも、この世界における広告・PR(広報とは別よ)の貧困さというのは客としてけっこう感じるところなので、おいおい書くかも。特にWEBがひどい。WEBはもっときっちり取り組まないとダメですよ。可能性も大きいですし絶対。今回のチラシ問題関連のページでも、フレーム内にあってパーマリンクがすぐ貼れないという有様。情報の広がる経路が断ち切られてるわけです。とりあえずフレームは使わないほうがいいですね。ってな感じでまたWEB講座でもしましょうかね。

ついでにチラシ問題を訴える私の作品(?)も公開▼「チラシタワー'00〜'06」

2000年11月の維新派に始まり今に至るまで、観に行った公演でもらったチラシ束、まったく捨てずにうず高く積まれています・・・。1メーターちょいぐらい。どうしよこれ。。あとダンス関係だけは1、2部づつぐらいをクリアファイルに入れて保管してるのが13冊ほどあります。


『もっとダーウィン』(2005年9月)id:cannon26:20050911