▼このブログについて(更新停止中)
2004〜2009年夏頃までの関西のコンテンポラリーダンス公演をメインとした目撃録です。その時期に関西であったコンテンポラリーダンス公演の8割方は観てると思います。その他、民俗芸能、ストリップ、和太鼓、プロレスなども。2000年の維新派『流星』から見始めて、多い年は年間270本。2007年は、エジンバラフェスティバル、ダンスアンブレラなど半年に渡る欧州漫遊の記。2010年以降もぼちぼち劇場には出かけていますが、更新する時間はなくなり現在放置中のブログです。


ク・ナウカ『王女メデイア』

cannon262005-08-10

びわ湖ホール夏のフェスティバル2005
2005年8月
びわ湖ホール 中ホール

一つの役を動く役者(mover)と語る役者(speaker)に分けて演じるという、ク・ナウカ。演劇なんて枠組みを突き抜けたスケールのでかい舞台を創っているということで噂には聞いて観たいと思っていた劇団です(西の維新派、東のク・ナウカって誰か言ってたっけ?)。すでに世界中で公演を重ねていますが、関西へ来たのはこれが初。

開演前にプロディジーが流れていて、プロディジーで始まるギリシャ悲劇ってどんなんやねん、とかなりそそられる幕開け。まあ、ギリシャ悲劇と言っても、かなり読み替えられていますが。舞台は明治日本の宴の席。冒頭、舞台上には顔を紙袋で隠された女達が、自分の写真を遺影のように抱えて不気味に直立している。そこに、わらわらと名士風の男たちが現われて、それぞれの担当を決める。誰がどの女を語るか。今作では男=speaker、女=moverと固定されている(作品によってバラバラらしい)。配役が決まると男たちは、座についておもむろに語り始め、女はそれを受けて動かされ、物語が始まる。なるほど、こんな構造になっているのか。ク・ナウカ独特の芸態は、あくまで劇中劇(=宴の余興)として組み込まれてしまっている。他の作品はどうか知らないけど、面白い構造だなと思った。というのも、「ク・ナウカ独特の芸態」と言ってもすぐに人形浄瑠璃文楽が思いおこされる手法ではあるわけで、それを劇中(明治時代)において、さもそういう芸能(ク・ナウカ独特の芸態=文楽の人間版)が実在したものとして演じているわけです。面白い。(もしかして“文楽の人間版”的な芸能って実際何かあったっけか?)

さて、ストーリーですが、え〜、分かりません…。だって、そんなん全然聞いてないもん。やっぱ舞台作品って、僕にとっては、ストーリーなんてほんとにどうでもいい。前日のチェルフィッチュでも思ったし。そんなことを再確認。

では、パフォーマンスについて。speakerの俳優達、ん〜それほどでもないなあ。謡い的な節もところどころつきますが、やはり戯曲を読むというところで限界があるのか、声のパワーとしてはまだまだ弱いもののように思った。説教節などの伝統話芸はもっとすごいからなあ。moverの女優達は(主演の美加理はとても綺麗)ちょっと席が後ろだったので、細かく見えず残念。美加理はたしかに綺麗な動きだったが、わりあい普通の「人形振り」じゃないか?とは思った。あと、音楽の演奏も役者がする(座の後ろで演奏している)。民族的な打楽器がメインで、とてもスリリングで効果的な音楽でした。ラストシーン、とてもかっこよかった。

いずれにしろ、唯一無二なのは間違いない。これは次も絶対観に行きますねぇ。