▼このブログについて(更新停止中)
2004〜2009年夏頃までの関西のコンテンポラリーダンス公演をメインとした目撃録です。その時期に関西であったコンテンポラリーダンス公演の8割方は観てると思います。その他、民俗芸能、ストリップ、和太鼓、プロレスなども。2000年の維新派『流星』から見始めて、多い年は年間270本。2007年は、エジンバラフェスティバル、ダンスアンブレラなど半年に渡る欧州漫遊の記。2010年以降もぼちぼち劇場には出かけていますが、更新する時間はなくなり現在放置中のブログです。


ダンス批評

今日は京都コンテンポラリーダンスラボのシンポジウムイベントに行ってきた。「批評」にスポットを当て、日頃よく読んでいる書き手のナマ声を聞けるという、なかなかレアな企画。

KYOTO CONTEMPORARY DANCE LABO 10
於:京都芸術センター
ダンス批評の可能性第1部 ダンス批評とは?

 水野立子(JCDN事務局長)
 堤広志(演劇・舞踊ジャーナリスト/「バッカス」編集発行人)
 武藤大祐(美学/ダンス批評)
 山下残(振付家/ダンサー)

ダンス批評の可能性第2部 ダンス批評を開拓する

 大谷燠(DANCE BOX Exective Director)
 酒井徹(京都造形芸術大学舞台芸術研究センター学芸担当)
 中西理(演劇コラムニスト)
 小林昌廣(京都造形芸術大学教授)

堤広志や武藤大祐っておっさんやとばっかり思っていたら、若い人だったのでまず「へぇ〜」。中西理は想像通り、というかよく劇場で見かける方だった。小林昌廣は私が通っていた大学に非常勤で教えに来ている講義を、他学部なのに勝手に聴講していた事もあり、一応知っている。日頃、講壇に立ってるだけあって話も面白くて楽しい。

議論のテーマは、観客にとって、またアーティストにとって、批評とは何か、批評の役割とは何かという事。あと、ウェブ日記などの広まりにともなっての批評を取り巻く環境の変化について。

内容についてはひとまず置く。僕が思ったのは、せっかくたくさん人を集めた貴重な時間なのに、なぜ前置き的な話にアホみたいに時間をとって、本題について話す時間をどんどん無くしてしまうのか。こんなマニアックなシンポジウムに来ているモチベーションの高い客なのに、たらたら自己紹介的な話は要らないでしょう。ダンスボックスがどんな事してるかなんてみんな知ってますよ。それこそ観客各自で予習させておいたらいいんですよ。「批評もひとつの作品です」と言うのと同じように、このイベントだって企画した人にとってはひとつの作品でしょう。もっと考えて作ってください。

批評うんぬんについてはこのへんにちょっと書いた→id:cannon26:20040809、id:cannon26:20040810

あと、「批評の批評が無いね」という話はもっともだと思った。さらに言うと、自身が書いた文章を自ら批評できる批評家は好きだ。

いろんな人の雑文集を読むと、ピンきりいろいろある。似たような話を使い回してるのとか、よく書けてるの、ダメなの、いろいろ。この人は、この文をいい と思って書いたのかな。まだまだと思ってるのかな。そもそもなんでこんな人がこんなテーマの文を書くことになったんだろう。何にヒントを受けてこんな文を 書いたんだろう。これについていまはどう思ってるんだろう。そう思うことはよくあるし、著作集とかはまさにそれを説明できるいい機会だと思うのに、そういうことをする人はあんまりいない。だからここではちょっとそれをやってみようと思う。(山形浩生のウェブサイトより:http://cruel.org/jindex.html