▼このブログについて(更新停止中)
2004〜2009年夏頃までの関西のコンテンポラリーダンス公演をメインとした目撃録です。その時期に関西であったコンテンポラリーダンス公演の8割方は観てると思います。その他、民俗芸能、ストリップ、和太鼓、プロレスなども。2000年の維新派『流星』から見始めて、多い年は年間270本。2007年は、エジンバラフェスティバル、ダンスアンブレラなど半年に渡る欧州漫遊の記。2010年以降もぼちぼち劇場には出かけていますが、更新する時間はなくなり現在放置中のブログです。


ロリーナ・二クラスによる振付家のための構成力養成講座

04年1月
伊丹アイホール

<バニョレ国際振付賞の前ディレクター、ロリーナ・二クラスによる振付家のためのワークショップ。プログラムは、上演→作家からのプレゼン→コメント・ディスカッション→各種ワークショッププログラム(写真・絵画・映画構成分析など)〔2日間〕→作品手直し〔1日〕→再上演→コメント・ディスカッションと進む。選ばれた5名の振付家が挑む。>

上演とその後のプレゼン・ディスカッションがたったの1,000円で観れるとあって、1回目、再上演とも行ってしまった。20分ほどの作品5つと、それにディスカッション等も含めて計7時間近い長丁場(再上演時も同じく)。別に、私、振付家目指してるわけではないんですけど…。結果的には、かなり面白かった。この後のコンテンポラリーダンスの見方にも影響を受けたと思う。なにより、このブログに文章を綴れている(綴ろうとしている)のは、この時の経験が大きい。

まずびっくりしたのは、ディスカッションでの観客の意見(観客と言ってもこういう催しに来るぐらいですから、ある種身内的な人達―つまり自身舞台表現に関わってる等―かもしれないが)。私自身は、目に見えるダンサーの動きそのものとそれに付随する空間を主に注目して見ているので(もちろんそれだけじゃないけど、でも何を表現してるかなどでなく、動きそのものが見たい)、「そんなに頭使ってダンス観てんの?」というような、他の観客の作品に対する意見や分析はほんとに新鮮だった(まあ、普通の公演じゃなくて頭使って観るための催しなので当然といえば当然ですが)。

それから、ロリーナのコメントも面白かった。私みたいな「純粋な(or普通の)観客」(ダンスや舞台表現の現場から遠い所にいる人)にしてみたら舞台上で繰り広げられる事というのは、オーバーに言えば人智の及ばない「神聖」なものなわけです(オーバーすぎか…)。それに対してのロリーナのコメントは私にとっては、例えば…、大ヒット商品のマーケティング戦略をそれに踊らされてるだけの消費者に聞かせる、みたいな。。俺、踊らされてただけなんだ…、みたいな。。そんなふうにして作品もできていくんだなあ、と。いやいや、ちゃんと書くとですね、例えば照明の使い方(観客との距離の操作、観客のコンセントレーションを高めるetc.)など、そういうテクニカルな部分で観客心理を動かすやりかたなんかは興味深かった。他にも、振付について、内的なもの(メッセージ、思想)についてなどなど、どれもいい話が聞けた。

それらに比べて意外と面白くなかったな(特に印象には残っていないので)、と今になって思うのは振付家からのプレゼンテーション。ひとつだけ印象に残ってるのは、【KARAGARA】というカンパニーの振付家ぐん(←名前が「ぐん」)。その作品のメッセージかなんかについて話している際に、戦争や9・11テロに言及して、声を詰まらせたあげく涙を拭うという…。「おい、おい、そんなアーティストありえへんて…」と思った。

さて、参加振付家(作品名)は以下のとおり。

奥平淳一 『負荷をかけて…』
ぐん【KARAGARA】 『last place』
相原マユコ【j.a.m. Dance Theatre】 『サボイ』
北島宏子 『善と悪 Doll』→(改称)『大人の知らないこと…』
東野祥子【BABY-Q】 『Alarm!』

※『サボイ』は8/22の項に。
※『Alarm!』は後日。

(以下9/3に追記)
奥平淳一は男性ソロ。見た目はごくごく普通の男性で、踊りをする人には全然見えない。体の不自由な人の介護経験を通して身体表現に興味を抱いたと言っていたように記憶する。この人がダンスに向かう経緯、モチベーション、切実、などがプレゼン・質疑応答で垣間見える。こういう企画ならでは。

ぐん主宰【KARAGARA】の『last place』は演劇的な作品。動きとか、作品の構成うんぬんよりも、視覚的なとこでビジュアルとしての魅力に乏しい感じ。端的に言うと、ダサかった。

北島宏子は子供や一般向けのダンススクールを地方都市(山口やったっけ?)で主宰するいい年した女性。今回は教え子の女の子(まだ小学生?)2名による作品。一回目上演は、お人形さんな感じの衣装(といってもかわいいというより不気味、道化なイメージ、白塗り)で、バレエテクニックを主体(けっこうハイレベル!)にした、どこかスクールの発表会的なノリの作品。でもそれが、なかなか猥雑でまがまがしい魅力を孕んでいて、惹きつけられた。

その後のディスカッションで振付家に提示されたのは、簡単に言うと「もっとコンテンポラリーに!」という事だったと思う。その(いかにも発表会みたいな)衣装・メイクをやめてみては?などとかなり根本的な部分まで指摘され、一体2回目上演はどう出てくるのか、その意味では最もこの企画の醍醐味を味わうことができそうな予感がした。

で、2回目上演。タイトルが変わった。そのタイトルの変化を見れば(上記)、作品性の変化も見て取れると思う。衣装も普段着に変わり、振付も100%変更されていた。スクールの発表会的なノリの作品から、芸術表現としてのダンスに変わったといった所だろう。でも、個人的には1回目2回目ともども、舞台芸術を観たという感覚より「見世物」を観たという感じだ。あんな小さな女の子がいろんなジャンルのダンステクニックをハイレベルに駆使するというのは、芸術に接してるというより、やっぱり「見世物」ってな感じがした(サーカスとか大道芸の世界)。で、「見世物」大好きな私としては、大満足であった(がしかし、我ながらマニアックな見方だと思う。上演中、山口昌男に思いを馳せてしまった。他の観客はどう観たのだろう)。

ということで、北島宏子作品がいろんな意味で最も刺激的で印象に残った。