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2004〜2009年夏頃までの関西のコンテンポラリーダンス公演をメインとした目撃録です。その時期に関西であったコンテンポラリーダンス公演の8割方は観てると思います。その他、民俗芸能、ストリップ、和太鼓、プロレスなども。2000年の維新派『流星』から見始めて、多い年は年間270本。2007年は、エジンバラフェスティバル、ダンスアンブレラなど半年に渡る欧州漫遊の記。2010年以降もぼちぼち劇場には出かけていますが、更新する時間はなくなり現在放置中のブログです。


【明倫artレビュー】淡水『そこ、いいんですか。』

淡水『そこ、いいんですか。』
ダンスの時間 spring 2010 より
3月26−28日 ロクソドンタ・ブラック

※このレビューは京都芸術センター通信「明倫art」 2010年5月号に掲載されたものです(INDEXはこちら







関係性のダンス、異分子が生むダイナミズム

そういえば、いわゆるゼロ年代が終わり、新たな10年が始まったのだった。こうした区切りにどれほどの意味があるのかと言われれば心許ないが、見渡してみれば、やはりひとつの時代が終わって、静かに次の時代が始まっているのかもしれない。

京都芸術センターが10周年。JCDNの「踊りに行くぜ!!」が10周年。その他にも関西のコンテンポラリーダンスを取り巻く多くの出来事が、ここ10年という期間で芽を吹き、茎を伸ばしている。

このあたりについては、JCDNが発行した「踊りに行くぜ!!10周年記念BOOK」や、ウェブマガジン「dance+」に掲載された上念省三『あえて、この10年または20年』(「うーちゃんとくまさんのダンス談義」より)に詳しい。

さて、淡水という名前の若手カンパニーが上演した『そこ、いいんですか。』という作品は、群舞の魅力において、類まれなる可能性を感じさせるものだった。

カジュアルな、だけども原色や水玉があしらわれた、やや派手めの衣装を身に纏った男性2名、女性3名の若いダンサー達。舞台上は美術セットも何もなく、ただ彼ら彼女らの群像めいた世界が展開する。とはいえ、わかりやすい物語を描くこともなく、抽象的なダンスにすべて還元されている。

彼らの舞台上で生成される動きは、絶えず異分子によって流れに変化を落としつつ進行し、全体のダイナミズムを生んでゆく。舞台空間全体の流動をコントロールしており、退屈を産むような予定調和や制度化に決して堕することのない、怜悧な振付家の視線が徹底していた。

例えば、群れて動いている仲間の中から、ふと1人が外れてしまう。または、群れの中に突如侵入してくる者がいる。そこに新たな動きの極が生まれることで、次の世界(ダンス)が立ち上がってくる。

なにか、水槽で泳ぐメダカ達の群れ行動を観察する実験を思い出す。淡水というカンパニー名は、そのような囲われた社会空間を暗示しているのかもしれない。

プロフィールには「何かしらの間に起こる関係性から生まれる感情をサンプリングして、その関係性を持ったモノ、ヒト、空間が関わりの果てに何処へ行き着き何が起こるのかを見たいが為に、舞台にそれを上げる」と、明確なビジョンが語られている。

コンテンポラリーダンス・シーンのこれから10年は、ある種の進行しつつある制度化、固定化をいかに回避するかにかかっていると思う。彼らのような若いカンパニーが、そうした状況に異分子となって侵入し、流れを変えていく事を期待したいと思った。まるで彼らのダンスのように。